恵風ブログ 書の名品と鑑賞
謹賀新年!今年もよろしくお願い致します
祖父の水竹山房コレクションから吉澤義則先生の美しい一幅を紹介いたします。昭和7年1月に天皇陛下御前講演をされた後に詠まれた歌。亡くなられた翌年昭和29年日展の書道部遺作展に同じ歌の作品が展示されています。祖父は、修学院にてご教授頂いたこと、また自分の高等教員試験の主任試験官であったことなどの御縁から、「余大いに嬉び早速購求して先生追憶の記念として永々襲蔵せんとする云」と書き留めています。
釈文
鳳凰の御間は(盤) ほのかに(可尓)うらら日の(能) とほく(久)さしゐて しづか(可)なり(那里)けり(希梨) *( )内は変体仮名
京都国立博物館「佐竹本 三十六歌仙絵」を観て
京都国立博物館「斉白石」展と書跡 常設展示「豊臣秀吉と後陽成天皇」
近年、中国で大人気の斉白石の展示が国立京都博物館で開催されています。詩書画一致の最後の芸術家による迫力ある作品が並んでいました。意外にも中国ではもうほとんど作品が手に入らず、既に展覧会記念グッズもほとんどが売り切れていました。
一階書跡の展示では「豊臣秀吉と後陽成天皇」という展示が行われています。宸翰様が完成し流儀化していた桃山時代に昂然と輝く革新の書、後陽成天皇の奇跡の名作「龍虎梅竹」にスポットを当て、他は秀吉の手紙や屏風絵の書などが並ぶわずか10点のテーマ展示です。
動乱の時代に文化芸術方面に多大な功績と作品を残した後陽成天皇は、一方では卜部家伝来の日本書紀を活字にして出版されていて、その古活字本が展示されています。また一方では「龍虎梅竹」の作品のように書の絵画的表現を試み、対象物を想起させる造形と用筆が見て取れる作品を残しています。公私あるいは大字小字など、それぞれの場面や目的において、書の果たすべき役割、ありようを考え、「芸術としての書」への一歩を踏み出して成功させた時代の先駆者と言えるのです。展示では日本の書の歴史を通観して、この作品が如何に素晴らしいかが説明され、学芸員羽田先生ならではの高い観点が示されていました。
博物館ディクショナリーno.214を是非お読み下さい。私の言いたいことは、全てそこに簡潔かつ明解に書かれています。
<博物館ディクショナリーno.214> https://www.kyohaku.go.jp/jp/dictio/pdf/dic_214.pdf
東京国立博物館 特別展「顔真卿」
東京国立博物館 特別展「顔真卿」サイト : https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1925
『近代の書聖 日下部鳴鶴』を観て…
日下部鳴鶴(くさかべめいかく)は彦根出身で、明治の三筆にも数えられる近代日本の代表的な書家です。維新後、大久保利通に重用され明治新政府の大書記官まで出世しました。42歳で官位を退き、清国から来日した楊守敬に廻腕執筆法という書法を伝授されます。当時の清国は金石学が興隆し、王羲之以前の漢魏六朝時代の碑版法帖の書体研究が大流行し、鳴鶴はいち早くその書法を吸収し書家の道を歩みます。滋賀県で今もこの廻腕執筆法が拡大解釈され書塾などで碑版法帖の書体が多く習われる所以となった書家と言えるでしょう。
鳴鶴の書作品を一度にこんなにもたくさん見たのは初めてでした。楊守敬に習う以前の若い頃の臨書作品から晩年の円熟した自詠自筆の隷書作品まで32点は、どの書作品も素晴らしく、私にとって鳴鶴のイメージを一掃する展示でした。当時一部で流行した書の絵画性や諧謔性を排除し、伝統的書法を融合して、自作の漢詩文を真面目に美しく紙面に定着させる態度が、大変好感の持てるものでした。亡祖父の水竹山房コレクションと共通する明治の伝統的正統派書画の美意識を感じました。
☆「近代の書聖 日下部鳴鶴 ー新出資料を中心にー」 2018年11月29日(木)〜1月8日(火) 彦根城博物館
http://hikone-castle-museum.jp/topics/6352.html柿衛文庫「芭蕉の手紙」展示を観て
文化の秋、芸術の秋、秋は様々な展示が行われます。
先日、大阪府伊丹市にある柿衛文庫の秋の特別展「芭蕉の手紙」を観てまいりました。
芭蕉はもともと筆まめで、また全国の弟子達に書簡のやりとりで俳諧の指導をしたことから、残された手紙は
数多く約250通にのぼるそうです。
相手や場面によって書きぶりが変化するため、その筆跡から俳諧観や人間性を紐解くことを意図した展示で、作品解説は文章のみならず精細な書の鑑賞に及び、本当に素晴らしく、久しぶりに感動致しました。
芭蕉は、言うまでもなく通俗的俳諧を芸術の域にまで高めた天才として後世に名を留めましたが、書も、明らかに芸術の域に達していたことを、展示作品が物語ります。青年期に書簡体をマスターして30代以降は上代仮名の書法にも挑戦し吸収していたようです。手紙だけではなく、伝統的な和歌集の体裁に従って詞書(ことばがき)と俳句を書いたり、俳句の背景に合わせて様々な書表現を試みており、美しい掛軸が並んでいました。書と俳句、詞書、挿絵が芭蕉の精神的世界で一体となり、伝統的日本の美が結晶された芸術作品そのもの…俳句ではどこまでも新しさを追求した芭蕉ですが、書では悉く伝統に忠実で、どれも美しく読みやすい書きぶりです。そして手紙の書には、暖かく優しく誠実で飾らない芭蕉のお人柄が滲み出ています。
書の本質は「心を込めて選んだ言葉を、造形としての美を意識しつつ書く過程にある」ことを改めて感じました。拙くも書を学ぶ以上、この日本の伝統を引き継ぐ心を失わずに歩み、後世へ継承する一員となりたいものです。